オシゴトいろいろ

避難所の感染対策など被災地で大きな役割

感染対策の大切さを知った東日本大震災の支援

 災害支援ナースに興味を持ったのは、当院の職員休憩室で雑誌の記事を見たことがきっかけです。養成研修があること、ボランティアであること、現地で疲弊した看護職員を助けるのも仕事という点に惹かれました。養成研修を修了し、登録されたのは2011年3月。なんと、その1週間後に東日本大震災が起きました。
支援に行きたいと病院に伝えると看護部長が認めてくれました。派遣期間は4日間。日本看護協会(東京都渋谷区)に集められ、大型バスで午後10時に出発。宮城県看護協会(仙台市青葉区)に到着すると派遣先ごとにマイクロバスで現地へ。派遣された気仙沼は雪が降っていて寒かったです。発災からすでに3週間経っており、避難所ではインフルエンザやノロウイルスによる感染性胃腸炎にかかっている人が多くいました。
 強く印象に残っているのは、下痢症状のあったひとり暮らしの高齢男性です。トイレに間に合わず失禁してしまったのですが、「下痢=ノロ」という認識が避難所に広がっており、感染を恐れる集団心理で「出ていってほしい」という感情的な声があがりました。その方には隔離用の部屋へ移動していただきましたが、感染管理の専門知識があれば、こうなる前にもっと適切な対応ができたのではないかという思いが募り、感染管理認定看護師も目指そうと決意。2015年に認定を受けました。
 ※2024年4月以降は、「災害・感染症医療業務従事者」として都道府県・医療機関間の協定に基づく業務と法的に規定され、派遣にかかる実費は公的に負担されるようになった。

泥だらけだった出入り口を掃除し、ダンボールで靴箱を作成。靴を脱いで室内に入るようにすることは、効果の高い感染予防策

物資が限られる被災地で看護の原点に立ち返る

 感染管理の専門知識は大きな力を発揮します。2024年1月に発生した能登半島地震では、第3班として発災3週間後に約200人が滞在する避難所へ派遣されたのですが、第2班に感染管理認定看護師がいて感染対策が徹底されていました。トイレに手洗い場をつくる、室内を土足厳禁にするなどごく基本的な対策ですが、混乱した避難所ではできていないことも多いのです。
また看護師という立場だからルールを皆さんに受け入れてもらえるということもあります。第4班にもうまくつなげることができ、この避難所が閉鎖される1月末まで感染性胃腸炎の症状を呈した被災者は1人も出ませんでした。
 災害支援ナース養成研修でも感染対策は重点的に学びます。感染症が発生すると人は不安になり、つらい思いをする人も出てきますが、発災後早期から専門知識に基づく対策を行えば防ぐことができます。能登ではそれをとくに実感しました。これまでに、鬼怒川が決壊した関東・東北豪雨(2015年)、熊本地震(2016年)でも活動しました。避難所などでは医療器具が限られ、聴診器くらいしかないため五感を働かせて状態を判断します。看護の「看」は「手」「目」という字でできていますが、災害支援ナースとして活動していると本当にその通りだと感じます。災害看護に関心はあるけれど災害支援ナースになるのはハードルが高いと思われがちなのですが、若手看護師で積極的に活動している人もいます。災害看護を教えているイムス横浜国際看護専門学校での講義や、院内講習で具体的な活動内容ややりがいを伝え、後進を育てていきます。

インフルエンザ・ノロ等の対策のためにトイレの側に手洗い場を設置。後ろに停まっている白い車は「サンドウィッチマン 」が 寄 贈 し た ト イレトレーラー

災害支援ナース

大規模自然災害の発生時や新興感染症の発生・まん延時に被災地等へ派遣され、地域住民の健康維持・確保に必要な看護を提供するとともに、看護職員の心身の負担を軽減し支える看護職員。災害支援ナース養成研修(日本看護協会が厚生労働省医政局の委託を受け、都道府県看護協会とともに実施)を修了後、厚生労働省医政局に登録される。養成研修は「総論」「災害各論」「感染症各論」等のオンデマンド受講と、「講習」「災害演習」「感染症演習」の集合研修。1995年1月に発生した阪神淡路大震災をはじめ国内外で活動を展開している。2024年4月、法令に基づく仕組みとなった。

横浜新都市脳神経外科病院